他者からの評価-Evaluations from others ; Chris Kyogetu

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私の他者からの評価は、勝つ気がない、負けず嫌いではない。こう言われることが何度かあった。親からも言われたし友人からも言われた
そう言われる理由は分かるし、その評価はその人にとっては正しいとも思っている。

これまで幼稚園から小学6年生までの間はサッカー、中学の部活動ではソフトテニスとやってきたが、負けても悔しいと思ったことがなく、テストで良い点数を取って上位に入りたいとも思わなかった。テストは少し頑張れば学年で5番以内に入れる位置にはいたが、特に何もせず取れる順位に満足していたし、どんなに嫌いな人が自分より高い順位にいようとも気にしたことがない。そればかりか進学してからは、クラスで最下位を争うほどの成績だったにも拘らず、進級さえできればいいと思っていた。
熱心に部活動に取り組んだり、勉強をしたりしておらず、勝ち負けに関心がないようにみえることから、勝つ気がない・負けず嫌いではないと言われることに納得はする。

ただ、自分の本質ではない

自分でも分からないが、見透かされたという実感がないから本質とは違うと思っているし、実際に譲れないものが存在していると共に悔しいという感情も在る。
自分の本質が何かは自分でも明確には分からないのだから直感に従うことしかできないでしょう。
本質を言い当てられた光景というものは、清らかな空気が漂い、嫌な感覚はどこにもない。
私は今までそれを求めていた。
他人からの評価はどことなく的外れな感覚しか表れなかった。他人から見たら良い評価に見えても私にとっては、これは何かが違う。そう思うものしかなかった。
そんな中、産まれてから19年経ったときに鏡月玖璃子さんに出会った。(現在、漢字表記はなくChrisKyogetuの表記のみ)
彼女は、私を評価してくれた。今までの人とは違う視方で


多くの人は、明快で完結した解を求める

これまで日常生活においても「よくわからない」という言葉で締めくくることが多々あったが、落胆されたり、逃避、投げやりだといわれたりした。ただ一人として諦めていないと認識してくれたことはなかった。

La Mortの中で彼女は

「死の何をしめしているのか曖昧なまま使われていてよく分かりませんでした」という火葬されても尚、死を本当に死といえるかどうか、遺骨と無機質な存在に問いを投げかけるこのエネルギーを強く感じている。私はこの一文でエネルギーを感じ、可能性を感じたのだ。

Chris Kyogetu : La Mort

このようにこの一節からエネルギーを感じとり評価してくれた。これは他の人とは全く違うもので初めて評価されたと実感した。

La Mortに限らず彼女の言葉が持つ引力は、私の中から新たな感性、思考を引き出す。現在私は、彼女の元で弟子として学んでいる最中であり、日々さまざまな事象を元来から持つ自己の視点のみならず、それらのものを純粋を求め極力取り外しながら見つめなおしている。私に限らず、彼女の文章を読んだ者は感化され思惟に耽けずにはいられないはずだ。

純然なる魂の存在というものが文章世界に現れるとき、光が視界に入り込む。

Chris Kyogetu : 幸福の王子 オスカーワイルド

彼女の文章世界にはChrisKyogetuさん彼女自身が現れてくる。それは直接的な登場人物ではなく外側に創造主として現れる。

彼女の文を読んでいる時に彼女がどのように世界を捉えているのかを感じることができ、私にとってはそれこそが純然なる魂の存在そのものであり、私に光を見させてくれる。

そして私は、その光に導かれるように新たな哲学領域へ踏み入れる。

死を眺める-Gaze at Death

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最近体調が良くなってきているのでまとめました。

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Nikon F2 Nikkor Ai 50mm f1.4 Velvia100

少し前まで平日のショッピングモールぐらいの人の量でも短時間ですごい疲れてしまって早く外に出たいってなっていたのに人が多い場所に行っても前のような疲れは来なくなった。単純に体力が戻ってなくて疲れたりはする。

電車で座って到着した時に立ち上がると足に力が入らなくて階段の昇り降りが厳しかったり、色んな場面で自律神経失調症の症状が出ていたのが無くなってきている。

交通事故から1年と3ヶ月程でここまで回復するとは思っていなかったし、周りの人達もここまで早く良くなるとは思っていなかったと思う。

同居している祖父が死んだという事故の状況から考えて5年から10年、もっと長くなるかもしれないと言われていた。

学校では、担任の先生や学生生活支援の職員の方、臨床心理士のカウンセラーに助けられながらなんとか高専5年間留年せず卒業することができた。

卒業後の今年は1年間大学編入版の浪人生のような形で編入試験を受け、なんとか志望校に合格することができた。

去年は自分の進路のことは考えることが出来ず、なんとなくで選んだ大学に全て不合格だった。

去年までになんとなくでも将来の方向性が定まっていればもう少しやる気も出たのかもしれないが、今まで生きる理由が分からず、交通事故後に自身を内観していくとそこには何も残らなかった。

約20年の間、自分自身に生きる理由がないことは察していたが、いざ内観を繰り返し本当に何も無いことを直視したときの喪失感は、一層希死念慮を高めるだけだった。

自身に関係する全ての行為が何によって肯定されるのかを考えていけば最終的に生きる理由に辿り着く。

生きる理由が無い若しくは分からない状態で何か物事を取り組むとしても、その行為は一時的な達成感を得るためだけのその場しのぎのものに過ぎない。

一時的な達成感こそが生きる理由だと思える人はそれでいいのだが、私はそう思うことができなかったし、初めからその視点ではなかったから生きる理由がないことは、そのまま全ての行為が無意味なものであることを意味する。

何のために頑張るのか。この問の行き着くところには何も無いのだから頑張ろうと思っても根本的に不可能だったのだ。

生きる理由がなければ自分という存在を裏付けるものがなくなってしまうのだから、自分の将来を考え、自分のために動くことが無意味なものに感じ死を望むことは当然のことだと思う。

だが今は違う。

何人もの人から支えられ、今はまだ死ななくていいかなと思えるようになり、これから自分はこのために生きたいと思える存在に気がついた。

それに気がついてからというものは、得体の知れぬ不安が消え去り睡眠導入剤を飲まずに寝ることができるようになったり、将来の目標を立てられるようになった。

去年の自分は死を望み、死に向かって進んでいたが、今は脇道に逸れて死を細目で眺めている。

関連

1年前に起きた交通事故のこと-What I encountered a year ago

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08/03/2020 

私は、去年の8月3日に交通事故に遭い、隣で運転していた同居する祖父が亡くなりました。その時のことを思い出せる限り書きました。

13時頃に靴下を買うためにショッピングモールに向かおうとしていたら同居している父方の祖父が軽トラで送ってくれることになった

行く途中、珍しく猿が道を横断していた

普段は古く狭い街道を使っていたが、歩行者が飛び出して来たら怖いと思ってその道沿いの比較的新しい道を薦めた

祖父は初めて走る道

道路の幅が広く歩道もある

走っている道が基本的には優先道路だったが、3個目ぐらいの大きい交差点ではこちらが一時停止になる。信号はない

停止線100mぐらい前に一度ブレーキを浅く踏んだから見えていると思ったが、約40mぐらい手前になってなぜかアクセルを踏んで加速し始めた

一時停止の標識に祖父は気づいていなかった

声をかける間もなくそのまま交差点に突入し、右側から走ってきた4トントラックと衝突した

運転席の真横にトラックが当たって、タイヤ痕から推測するに車ごと宙に浮いて飛ばされたらしい

進行方向から左に90度以上車体の向きが変わっていた

歩道のコンクリートに当たって止まったと思う

衝突する直前に意識は失っていたから衝突する瞬間の痛みは感じなかった

直前の映像までは鮮明に覚えている

運転席側の窓からトラックの正面が見えた。よく見るマークがあった

窓から運転席は見えなかったから当たる1m〜2mぐらいの距離だったと思う

運動エネルギーの方向が90度以上変わっていることからも衝撃の大きさが窺える

交差点からは10m近く離れたところまで飛ばされていた

それぐらいの衝撃だったらしい

衝突から何分後かは分からないけど意識が戻ったときに全く違う方向が見えていて驚き、衝突したことを実感した

意識がない間は夢を見るわけでもなく本当に何も感じることができなかった

肺挫傷、その他臓器傷ついていたけど衝突の規模の割に意識はしっかりしていた

救急車が到着した時のことも覚えている

目は開いていなかったけど、頷いたり声を出して応答していた

意識がなかった祖父が先に救急車で近くの病院へ運ばれ、私は救急車で応急処置を受けつつドクターヘリの到着を待った

どちらを先に車から出すか話しているのも聞こえていた

祖父は頭から血も出ていたし一目見ればどちらが重症か判断できるし、即死だったらしいから脈がないことはすぐに確認していたと思う

その時の音の記憶がない

祖父の方がやばいから先に降ろすみたいな会話が聞こえたところまでは覚えているけど、その先が記憶にない

聞こえていた可能性はあるけど覚えていない

この時点で嫌な予感はしていたが、ただそれを信じたくなかったんだと思う

ヘリで運ばれている間も医者とドクターヘリ乗るの初めてですみたいな呑気な話をしていた

病院に到着し治療を受けているときのことはあまり覚えていない、内臓損傷してるせいで吐き気が止まらなくて辛かった

静脈と動脈に点滴を打った。動脈に刺した針は10㎝ぐらいの長さでたぶん今までで一番痛い針だったが、他が痛すぎて痛みを覚えていない

一通り検査を終えた後ICUに入った

ドラマでしか見たことがなかったICUに自分が入るとは思っていなかったし、なんかICUってかっこいい(小並)と思ってしまって嫌気がさした

馬鹿だよね、本当に

こんな状況なのにICUかっこいい(笑)みたいな感じのことを考えてしまうなんて

不謹慎でも頭に思い浮かんでしまうんだよね

個室だったからドラマのような機器が並んでいる光景は見ていないけどね

一般病棟とは違ってICUはテレビ見放題らしくて何もすることないけど身体は動けない状態だったからつけた

チャンネル切り替えて見るものを探していたら見覚えある車と場所が出てきた

偶然ニュースで事故のことをやっていて、この事故で運転していた男性が死亡しましたというところまで聞いてしまった

一瞬でチャンネルをかえればそこまで聞かずに事故の場所を見るだけで済んだのに、どうなったのか知りたいという欲求が勝った

その結果は、まあ予想通り

とりあえずテレビは消したけど落ち着いていられない

自分は何も見ていないと自分に言い聞かせていた

看護師や医者から祖父のことは聞かされていなかったから薄々察してはいた

そうしているうちに父が病室にきた

コロナで身内1人だけしか入れなかったらしい

父とどんな話をしたかは覚えていないけど、帰り際に祖父がどうなったか聞いた

聞かれるまでは言わないと母や他の家族と話して決めていたらしくて父からは触れてこなかった

ニュースで見ていたから祖父が死んでいることは知っているはずなのに聞いた

現実を受け入れられない自分を説得するために父を利用した

泣いたところを見たことがなかった父が、ダメだったと言いながら泣いたんだよ

その日はほとんど眠れなかった

全身痛いし、繋いでいる機械の音も慣れなくてうるさかった

8月3日の記録としてはこれぐらい

まだ誰にも言えていない心残りがある

衝突直後も思ったけど、一時停止があることを言えばよかった

祖父は初めて通る道だし、その道に誘導したのは自分だ

晴れていて前方の見通しは良かったから一時停止の標識を見えていると思っていたし、運転手が分かっているのに一時停止だとわざわざ言ったら余計なお世話なんじゃないかと思って言わなかった

一度速度を落としたときに見えていると思った

多少疎まれても言っていれば止まって事故を回避していた

この程度で孫を疎むような人ではないんだけどね

そもそもその道に誘導しなければ何度も通った道を走るはずだった

こんなこと言ってもどうしようもないことは分かってはいる

今まで、親含め誰にも言ってないし書きもできなかった

この先も言える日は来ないような気がする

言ったら絶対に、私のせいではないと言われるから

自分のせいではないと言って欲しいとは思っていないし、言われたくない

そんな言葉を言われてもなんの気休めにもならないし、むしろ責めてくれた方が気が楽になるような気さえする

それをしてくれる人はいないし、思っていても言えないでしょう

あと、避けたいのは死人の代弁

祖父はそう思っていないだとか、分かるはずのないことを言われたくない

葬式の日には退院できたから参列したが、来てくれた人たち、身内でさえも死人の気持ちを知りようがないのに語りだして気味が悪かった。

入院している期間のことはまた記憶が薄れないうちに記録しておこうと思う

退院してから死とは何か考えて書いた

「死とは何か」これが結論ではない。まだこの先も自分が死ぬ時まで考えているだろう。

wilhelog.hatenablog.jp

そしてこれを見た鏡月玖璃子さんが書いてくれた記事

chriskyogetu.jp

結局、感覚は嘘をつかないね

悲しいと感じたときの感覚から思い出すのはこの日のこと

事故の日からまだ一年しか経っていないけど、精神的な回復はかなり早いと思う

誰かを恨んだりせず、死とは何か考え感情を哲学に昇華させていることが回復を早めたのだと思う。

ただ、感情の整理はできてもそれに身体が追い付いてこなくてまだ完全復活とはいかなそう

PTSD、鬱病になったり、自殺を考えていたこともあった。今はもう薬飲まなくてもよくなったし、最近は睡眠障害も治ってきている

あとは、急に来る頭痛など謎の体調不良がなくなれば完治といえるだろうけどこれはまだ何年もかかると思う

長いけどここまで読んでくれた人ありがとう

死を想像すること-Imagining death

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死を想像することをやめられない

自分の死ではなく親しい人の死

まだ生きている

会話をしている最中にその人の死を想像してしまう

本当に死ぬよりも怖い

実際に死んだら怖がることはない

想像してしまうことが一番の恐怖であり想像から逃げることはできない

世界は想像から成る

私の死生観の起源と今後-The Origin and Future of My View of Life and Death

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自律神経失調症で手足に力が入らなくて足がピリピリする(貧血なのかな?)こういう状態のときに生を実感する

生というものは、生まれてからずっと通常だったものがそうでなくなってきて初めて実感するものなんだと思う。

普通の感覚ではないことを感じてやっと分かる

去年同居している祖父(父方の)が死に、19歳にして初めて身近な人の死を経験した

正確に言うと幼稚園の時に曽祖父が死んでいるが、まだ年齢的に何も分かっていなかったので悲しみも泣きもしなかった。

 いや、何も分かっていなかったのではなく、今と同じ状態だったのだと思う

 他人の宗教観、死生観をまだ知らない真に純粋なときに経験した死と、19歳で経験した死の間には違和感があった

 その違和感は、幼稚園のときの”何も感じなかった”という感じと、暮らしていく中で宗教(日本なので主に仏教)やそこから生まれる死生観を内に取り込み、他人の思考が介入したことから発生する差からくるものだ

 死とは何かと考えた時に追い求めていたのは幼稚園の時に経験した死の感覚で、それに近づくために宗教や他人の死生観を取り払う作業に必死に取り組んだ

 初めて経験した死のその時の感覚を求めた結果が今の死生観になっている。

なったというよりは感覚を取り戻したのだと思う

 死については以前詳述しているのでそちらを参照してほしい

wilhelog.hatenablog.jp

 19歳のときに経験した死は、死の意味を分かったから悲しくなったのではなく意味を付与したからであり、それは、日本の宗教、葬式という場やそこにいる人が作り出す空気が作り出した意味で、正しくも的確でもなければ自分の感覚とは一致しない

 私の場合は、幼稚園のときの死を何も感じないと感じたが、そうではない人もいるだろう

人の感覚は人それぞれ異なるのだからその感覚が違えば死生観が異なるのは当然であろう

 少し話が逸れるが、命に価値を見出さない人ならば自己肯定感など無意味に感じる

学校教育では、全ての命はかけがえのないもので価値があると言い聞かせて自己肯定感を高めようとしているが、生きるために他の生物を殺している。生き物を食べない主義の人でも知らず知らずのうちに殺している(微生物など)

全ての命は大切だと説いておきながらなぜ他の命を奪うのか理解できない

生きるために命を奪うから感謝をして頂きましょうのような言葉が不思議でならない

こういうところに欺瞞を感じてしまうから自己肯定感という言葉や、もっといえば道徳が苦手だ

他の生物の命を奪うから私は自分の命に価値があるとは思っていない

他の生物と同様に殺されるときは殺される、そういうものでしかないと思っている

 これは書くか迷ったが、今私には母方の祖父母とその兄弟や父方の祖母など関わりの深い親戚が複数まだ生きている(まだとか言っていいのか分からないけど)

全員歳は70を超えているし、私に比べたら先は長くない

そういう人達が死んだときに何を感じるだろうか

もちろんその人の死自体を望んではいないが、死の感覚には興味がわいてしまって複雑な感情になっている

最近、昨年感じた死の感覚が薄くなってきているような気がしている。

恐らく私の哲学のテーマは”死”になるだろうから、さまざまな距離の人の死を経験したときの感覚それが鍵になる

ジャンケレヴィッチも読んでいきたい

“死”を知ることへの欲求とこれから長く付き合うことになるだろう

wilhelog.hatenablog.jp